うらがみ

illusted by KUMI MASUI

10

ねえ、お母さん

子供が登校し、家事が一段落。ふと携帯を見ると母からの不在着信があった。かけ直してみると
「朝四時頃『ねえ、お母さん』と女の人の声で呼ばれた。お母さんと呼ぶのは××(私の名)と○○(妹の名)だけだから、何かあったのかなあと思って。」
というものだった。

私には霊感はない。でも母は昔からかなり敏感だ。朝方私が自分でも気付かないうちに、母にメッセージを送っていたのだろうか。

確かに私は朝四時頃、目が覚めていた。我が娘にはベッドがあるが、この日は私の布団で一緒に寝ていた。手触りの良い抱き枕サイズの大好きなぬいぐるみと共に。そして四時、何故か毛布はスライドしていて、娘のはぬいぐるみをきれいに包みこみ、娘は私のを掛けていて、私は寒さで目がさめていたのだ。
「ねえ、お母さん。寒いよお。」
と私の心が送ったのだろうか。本当の私の心は実はこんなにも甘えん坊だったのか。この偶然の出来事でひと笑いして母と電話を切った。

ねえ、お母さん。ちっちゃなことでもいつも気にかけてくれてありがとう。ねえ、お母さん。まだまだ心配かけてごめんね。ねえ、お母さん。また笑い話ができるよう長生きしてね。

11

学校から帰宅した息子が発熱していた。今朝は元気だったのに。帰ってすぐに布団に入り、静かに寝込んでしまった。
今日は帰宅後すぐに習い事に行って遅く帰る日だったから、夕飯の準備も家事もすでに完璧。ふいに何もすることが無くなった夕方。ひとり。
いつ起きてくるかわからないし、なんだかお腹も空いちゃったから、4時半なのに、夕飯を食べる。5時には食べ終わって、また手持ち無沙汰。

いつ、閉じ込めるかわからないな、と思ったりする。熱を出した子を1人家に残すわけにも行かないので、明日の、月に一度の用事はきっとキャンセル。ついでに行こうと思っていた買い物や銀行も、今日行っておけばよかった。予定外。
でも、この予定外にもずいぶんと慣れた。何ひとつ、思い通りに行かないことにも。母になってよかった事のひとつ。予定外を受け入れられる幅が、大幅に広がったこと。生きやすくなったと思う。ストレスに感じることもあるけれど、圧倒的にどうしようも無いから、そんな中でも楽しみを見つけるスキルは上がった。

予定外、予想外を運んでくれて、どうもありがとう。人生、楽しいよ。

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結婚して十数年が過ぎた。そういえば子供の頃、大人になったら人里離れた山奥でひっそりと、犬と猫と馬と結婚相手と暮らしたい、とぼんやりと考えていたなと最近になって思い出す。どちらかと言えば社交的な私。社会と関わるのも好きで、世界中どこへでも一人で出かけていく自信もある。それなのに、小さな頃のそんな思いを手放すことは、まだできない。

子供や飼い犬との関係は至ってシンプル。まだ小さな子供たちも飼い犬も、私のことを百パーセント愛していてくれていて、私も彼女たちの愛に答えようと必死になる。
でも、夫との関係はとても複雑。
私は夫のことを愛しているのは勿論だが、多分まだ恋もしている。よく「恋は三年で冷める」と聞くからそんなものかと思っていたが、私の場合どうやらそんなことはないらしい。夫は私のことを大切な家族の一員と思っているであろうとは感じるのだが、私を愛しているか、まだ恋しているか、は分からない。古風な日本人である夫、口数も少なく、思いを口にすることは勿論ほぼない。私が夫に恋していることを彼が感じているかも分からない。私なら堂々と口にすることもできるが、ここは一応恋の駆け引き、やすやすと言葉にしてしまっては背を向けられてしまうかもしれない。

夫に恋はしていても、子供が中心の日常を過ごしていれば、夫に密かに不満を抱くこともあるし、格好の悪い姿を見せることもある。堪忍袋の緒が切れた私、なりふり構わず家の中を駆け回る私、無防備に眠りこける私。それは夫も同じ。私に不満を抱くことは多々あるであろう。格好悪い時もたまにはある(しかしここは古風な日本人、あまり見せることはない!)。私は夫の格好悪い姿も大好きだが、夫はどうだろう。何度も「百年の恋も冷めて」いるかもしれないし、もしかしたら格好の悪い私の方が親近感のわく存在かもしれない。
夫に嫌われたくないからと、夫にとってネガティブなことを言わなかったり、つまらない話はしないように常に心がける。しかしそうすると、話すことも減ってきて、いざ話そうとすると何だか緊張して会話がぎこちなくなる。それも嫌だからと思い切ってネガティブな話も何気ない話もしてみると、意外に会話は続いて、その後も夫の口数は自然と増える。ああそんなものなのか!

ただ夫を愛して、彼のあるがままを受け入れるだけならもっと簡単な気がする。でも恋していたら、自分も愛してもらいたくなる。しかし日常の自分は格好悪くて自我も勿論あって夫の理想像ではきっとない。加えて私は一女性であると同時にれっきとした社会人。妻であり母である自分も社会に大きく関わるべきだと考える部類である。きっと夫はその部類ではないが、だからと言って私は自分の方針を曲げてはならないであろう。夫との関係に常に心を悩ませている訳にもいかない。社会に貢献しなくてはならない。

もしも人里離れた山奥でひっそりと夫と暮らせたら、夫は私のことを愛している、と私は自信が持てるのではないか。大人になった今はそう感じてこの思いを手放せないのかもしれない。しかし現実は全く異なる生活であるし、この様な生活を実際にしたいかと聞かれれば、そういう訳ではないと答えるであろう。現実は、夫とのこの複雑な関係を、日々試行錯誤重ねていくしかないのである。