うらがみ

illusted by TAKU BANNAI

06

あの頃『ベルサイユのばら』に夢中だった。お隣のあっこちゃんと漫画を読んでは、狭いリビングでベルばらごっこをした。部屋の電気をパチンと点ければ、そこはお城。うちわを優雅に扇ぎ、大好きなエンゼルパイをちびちびと食べ、オホホホと笑う。今日は舞踏会へ!私はおかっぱの頭を、あっこちゃんは天パの頭を揺らしてくるりくるりと踊った。キュロットスカートの裾をつまんで、くるりくるりくるり。

ある日、新作ドレスを描きながら、私達のベルばらを作ろう!と思いついた。私の名前はキーコ・ショセファシャンヌ、あっこちゃんはアーコ・ヨーセファヨハンナ、これはマリーアントワネットの名前から考えたもの。あっこちゃんが、お姫様には王子様が必要よね?だから、たのきんトリオから選んでと言う。えー、と言う間もなく「あたしよっちゃんがいい。」と言われた。ー私、たのきんトリオは好きじゃないなぁー「じゃ…じゃあ、マッチでいいや。」慌てて宣言しなくても、絶対余るよっちゃんを取りに行ったあっこちゃん、当時のマッチ人気を思えば、かなり非国民な発言をした私。かくして小学生版藤子不二雄は結成され、『スズサイユのゆり』創刊に向けて走り出した。

描く用紙はもちろん「うらがみ」。当時、裏紙は本当にたくさんあった。なぜ画用紙でも自由帳でもなく裏紙に描こうとしたのかはわからないけれど、お母さんもはいよ、と裏紙をたくさんくれた。こだわったのは、藁半紙ではないこと、裏側にインクが滲んでいないチラシであること。お互いの家から裏紙を集めてはホチキス留めをして、紙の束を作っていった。ところが、チラシの大きさや紙の質が様々で、なかなか思うような本の形にはならなかった。

そんな中、いつものようにあっこちゃんちに行くと、ドヤ顔で彼女が待っていた。「キーコちょっと、見て‼️」それは真っ白い上質紙の裏紙の山!どうしたのかとたずねると、お母さんに仕事場から持って帰って来てもらったという。彼女のお母さんは公務員で、恐らく不要となった書類を娘の為にそっと持ってきてくれたのだと思う、、そしてこの行為が時効であることを願う。私達はここから二人の世界を大きく羽ばたかせていった。『継母の虐め編』『隣のお城で殺人事件編』『盗まれたダイヤモンド編』など、もはや内容はベルばらからかけ離れていたが、湧き上がるアイディアは留まるところを知らず、私達はこの遊びに没頭した。せっせと描き上げては丁寧に束ねて、思い思いの本を作り上げていった。創刊号から第何号まで描き続けていったかは覚えていないが、大量の裏紙が尽きてしまう前に飽きてしまったように思う。

あっこちゃんちの本棚に飾られていた『スズサイユのゆり』。どうしたかな。創刊号の表紙の絵は今でも覚えている。とっくの昔に、彼女が思春期の時にでも捨てちゃったかな。でも、まだ同じ家に住んでいるはずだから、もしかしたら押し入れの隅にでも残っているかもしれないな~、なんてね。

そうそう「うらがみ」創刊おめでとうございます。
最近、裏紙ってないね。実家ではお薬の説明書や、お寺の怪しげな倶楽部のお誘いを「頭痛にノーシン」のでっかいクリップに挟んで、こたつの上に置いている。母は、それにテレビの健康情報をせっせと書きためている。

07

十月十八日

母は自分のお母さんが他のお母さんより年をとっていて、いつも着物を来ていたことが嫌だったと言っていた。しかし、そんな祖母は戦争が始まる前に子ども時代を過ごしたので、豊かに暮らしを楽しむことができたんじゃないかとも話していた。

笹舟をつくって川に浮かべたり、つくしを採ってつくだ煮にしたり、よもぎを摘んで草団子をつくったり、姉と私にお揃いの洋服を縫ってくれたり、セーターを編んだり…何でもつくってくれた祖母を思い出して、幸せな少女時代を過ごしていたに違いないと嬉しくなった。

ひなまつりにはちらし寿司、夏のおやつには冷たく冷やしたみかんの缶詰と白玉。十五夜には欠かさずお月見団子を用意して、片祝いになってはいけないと十三夜も。大晦日には年越しの天ぷらにおせち料理。今でも続く母の習慣は祖母から受け継がれたものなのだ。ニラたっぷりの餃子、えのきと白滝のお惣菜、無限ピーマンなんて流行る前から、我が家では定番のじゃこピーマン。一緒に暮らした二年の間に沢山【おばあちゃんの味】を食べた。住まいが離れてからも長いお休みのときは必ず遊びに出かけて、その味を食べた。

祖母が突然亡くなる一ヶ月前、私は一人祖父母の家を電車で尋ね、祖母と一緒にコロッケをつくった。タマネギをいためて、ひき肉を炒めて、ゆでたジャガイモと混ぜて俵型にする。両手にすっぽりおさまるくらいのコロッケは実家の母の味。そして今では我が子達の大好物。丸でも小判型でもない俵型のコロッケ、昨日はいっぱい食べるかと思って沢山つくったけど、あと3つ残っている。今日のお昼はそのコロッケを大事にはさんでコロッケサンドにします。

08

結婚して十数年。夫のことはいまだに大好きだと思う。
先日、結婚してから初めて、夫以外の男性に、女性として好きだよ、興味があるよ、という意味のことを言われた。
結婚していたって、母になっていたって、その程度のことを言われても特に問題無いはずだけれど、思いの外動揺した。思いがけなすぎて。そして、思いがけなすぎた、と思う自分にも、言われた言葉と同じくらい驚いた。
そういう気持ちが、わたしの人生にやってくることは、二度と無いとでも思っていたのかな?
そうかもしれない。
だとしたら、なんでそう思っていたんだろう。
不必要だから?
でも言われた言葉は、やっぱり嬉しかったよ?
自分の気持ちがいつまでも伸びやかで、人間らしくいられるきっかけのような出来事だった。そんな事を思いながら、手は勝手に動き、今日の夕飯のお味噌汁を作っている。いつものように。大切な家族が、明日も元気でいられるように。

09

シワシワになった手の甲をみて、おばさんの手になったなあ、そうだよね、もう、40数年生きてきたんだ、こんな手になるよとしみじみ思う。

身体はどんどん老いてゆくけれど、考えていることは殆んど変わらない。
「自分の人生を考えると悲しくなる」と4、5歳の頃に言っていたらしい。
どういう気持ちで、この言葉を発したのかは、全く覚えていない。
だけど、気づいたときには自分の存在、生きるということに何か意味があるんだとずっと探しつづけてきた。
中二病から脱しきれていないのか。

大人といわれる年頃になり、自分の努力ではどうしようもない出来事にあう度にこれには意味があるはずと考えることで、どうにか自分の気持ちに折り合いをつけてきた。

ある時、対処しきれないいろんなことが一遍にやってきて、その意味を探しているうちに、真っ暗なモヤモヤに飲み込まれてしまった。苦しくて、もがいて、もがいて、もがいて。
そして生きるってそのままのこと、意味なんて探さなくてもいいやって思えるようになったら、何故か気持ちが楽になった。
今までしてきたことと、全然逆だけれど、物事の裏表はある意味同じなのかもしれない。

独りで悶々としている隣りで笑っている家族がいる。
何かに感謝してもしきれないご縁。
この家族に出会うために生きているのかなとまた意味を探してる。
堂々巡りの日々。